たわわな日々

ときどきゆっくり、ときどきてきぱき、基本的にはのほほんで生きる

本の断捨離

 
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こんにちは、やゆよです。

本日、本の断捨離を行いました。
 
 

本の断捨離には、決心がいる

見出し通りです。
本の断捨離は一番の苦行というか、精神力が必要になります。
 
私の中では、
服や雑貨や流行に左右されることが多く、消耗品なので未練もなく割とさっくりと断捨離できる。
それに比べて本は、服や雑貨よりも流行に左右されにくく、年月を重ねても価値が褪せにくい分、断捨離の気が進まない。
 
また、読むだけでなく収集することに満足感をもつことが多いので、個人的には「選別すること」にとても勇気がいります。
その本を買ったとき出会ったときの、わくわくした感情を忘れるような、まるで生涯の友と別れるような…
 
もう一つ、本の断捨離で厄介なのは、「いつかまた読むときが来るだろう」という気持ちが芽生えること。
 
これは他の物でもそうですね。
ただ本の場合は知識を司る分、その気持ちがより一層強くなるのかなと思っています。
いつかまた読むから…
いつか必要になるから…
 
 

「いつかまた」って一体いつなの?

いつかまた読もうと思って、いつかまた参考になるだろうと思って、なんとなく本棚に置いたままにしている。
 
けれどふりかえったとき、実際に読み返した本は数冊。
 
読み返さなかったということは、理由はいろいろあるにしても、
興味がなかったり、知識が既に私の中に吸収されているということ。
 
それでは、なぜ置いたままにしているのか。
 
それはおそらく、「本を所有している状態に満足している」から。
「そこにあれ」ば、その本に関する知識と思い出を、忘れてしまうことはあっても失くしてしまうことはないから。
 
考えてみると合理的な理由があるわけでもなく、ただただ本を所有し、束縛したいという気持ちがありました。
 
 

忘れることはあっても、根本的に失くすことはない

おそらく、そうなんだと思います。
 
物体として私の元から離れたとしても、思い出や記憶まで離れることはない。
一時忘れていたとしても、ふとした瞬間に思い出すことなんていくらでもある。
 
本にとっては、一人でも多くの人の手に渡り、読まれることのほうが幸せなのでは?
 
本の断捨離を行い、
この記事を書きながらそんなことを思いました。
 
本が好き、本を読む行為が大好きですが、
一方でコレクションのように収集している自分がいます。
少しずつですが、本に対する姿勢を見直していきたいと感じました。
 
 
やゆよ